未熟思考の捨て場

思い浮かんだ考えの断片。もしくはもっと低俗なもの。

本のつまみ食い問題について

あけましておめでとうございます。

 

さて、今回は結構自分を悩ませている問題について考えます。

それは、「本のつまみ食い」です。

なんだそれ。そうお思いでしょう、そうでしょう。いや、もしくは自分もそうですッ!という人も多いかもしれない。そもそもこのブログを見ている人がいるのかという問題もあるのだが、それは仕方ない。

 

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 (自分で書きました。絵を描くツールって使い所あるんすかねこれ。)

 

「本のつまみ食い」とは数多くの本が途中まで読んである状態で放置されている状態である。

ここで、ああッ!あるあるッ!と私に共感してくれた人も多いだろう。ありがとう。

ところで、「本のつまみ食い」は私の造語であると思っていたのだが、Googleを問いただすと、外山滋比古氏も『乱読のセレンディピティ』のなかで似た言葉を用いているようです。(外山さんは『思考の整理学』しか読んでないです。)

 

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

 

 

まあ、仕方ない。被ることもあるだろう。パクリとかではないので怒らないでほしい。

いま、私の言いたいことは「乱読」とは少し違う。確かに「乱読」なのだが、意識して「乱読」することとは次元が違う。

すべて通読したいと願いながらも、途中で挫折して(もしくは読んでいることを忘れて)他の本に手を出すのである。アホである。

浮気性である。最悪だ。もしも私に彼女なるものができたと仮定したならば、彼女なるものに「あんたッ!浮気してたのねッ!」と罵倒されることだろうと帰結できる。

 

そういうわけで今、私の部屋には数多くの不倫本が散らばっている。つまみ食うだけつまみ食って捨てられた過去の哲学者たち。

私はどうにかして救いたい。無残に読み捨てられた不倫本たちを。(不倫本ってなんだよ。)

 

解決したらまたここに書きますね。